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【平野紫耀】母子家庭・母は何歳?兄弟と貧乏:天然の陰にあるTOP目指す野望

平野紫耀さんは母子家庭で育ち、お母さんが16歳~17歳のときに生まれたお子さんのようです。
実は平野紫耀さんのお母さんはヤンキーだったそうで、母子家庭だったこともあり、子育て方法も独特だったので、まとめました。
平野紫耀さんのお母さんがどんな人物なのか、母子家庭だったエピソードをまとめました。

これは平野紫耀さん自身も言っているのですが、お母さんは超絶ヤンキーで、かなり怒ると怖いらしく、掃除機を武器にして殴られたりすることもあったそうなんですよね。

17歳で高校生で出産というと確かにちょっとグレていたのかな、と思ってしまうところもありますが。

平野紫耀さんの名前、「紫耀(しょう)」を決めたのもお母さんで、お母さんは紫色が好きで、かっこいいから決めたそうなんです。

そう言われてみると「紫耀」ってよく見るとヤンキーの当て字みたいですよね。ヤンキーが好きな色の代表も紫色な気がします。

平野紫耀さんは、「お母さん」と呼ぶことは許されず、「ママ」と呼ばないと母親に怒られてしまう、と発言しています。

ちなみに、平野紫耀さん、おばあちゃんに対しては自分のことを未だに「しょう」はね・・・なんて話しかけるみたいですよ。

母の教育は「勉強より礼儀!女の子を守れ!」

平野紫耀さんのお母さんはとっても厳しく怖かったのですが、勉強をしろ、とは言われたことがないそうです。

礼儀と女の子を守りなさい、ということは常に言われていて、それは現在の礼儀正しい平野紫耀さんをつくっているようです。

TV番組でも深々と礼をする姿が印象的です。

女の子を守りなさいと言われて、ドッジボールで必死に女の子を守っていたそうです。平野紫耀さんの王子様的な包容力は、母の教育のなせる技ですね。

なにかを守りたいという気持ちが強い、と平野さん自身がインタビューでも語っていたので、まさにそういうことなのだと思います。

平野紫耀さんは2歳下の弟との母子家庭です。母子家庭の一般的なイメージと言えば、母子家庭エピソードについてまとめました。

父のことは記憶にない

平野紫耀さん自身も、幼少期に父親の記憶が全くなく、覚えていないし、記憶にないと言っています。

もしかすると出産時からシングルマザーだったのかもしれませんし、本当に物心がつく前に離婚してしまったのかもしれません。

でも弟がいるしで、どの段階からお父さんがいないのかは気になるところですが、はっきりしないのですが、お母さんが女手ひとつで育て上げたことは確かなようです。

母子家庭といえば、ちょっと子供がグレたりするのではないか、など精神面での子供への負担も気になりますよね。

平野紫耀さんの幼少期のエピソードを調べたところ、けっこうやんちゃな子だったようです。

なんとこの平野紫耀さんの幼少期の画像の足、ギブスのようなもので固定されているのですが、骨折を7回もするほど激しくやんちゃだったそうです。

保育園児なのに、岩の上から川にダイブしたり、足首を骨折したり、これは自分が怪我するだけに限らず、お友達の足を振り回すなど、乱暴なことをして先生に怒られていたそうです。

このような平野紫耀さんの幼少期の激しい行動も母子家庭の影響かもしれませんね。

同じく平野紫耀さんが保育園児のときなのですが、お母さん一人で目を離したすきだったのでしょうか?平野紫耀さんが1円玉を飲み込んでしまったそうです。

慌てて医者に行ったところ、お腹の中から5枚も1円玉が出てきたそうです。

きっとお母さんが見ていられないときだったのでしょうけど、まあ好奇心のまま動く子だったのかもしれませんが、手のかかる子だったでしょうね。

平野紫耀さんの母親は、元ヤンキーでとっても怖かっただけでなく、実は体が弱かったのです。

その母に代わって、家事をするのは当たり前。なんと料理も自分で作るのが当たり前で、平野紫耀さんの得意料理は回鍋肉なんです。

しかも、市販の合わせ調味料なしで、旨味を出して味を整えることができるそう。きっとお母さんは厳しいだけでなく、深い愛情を平野紫耀さんに注いでいたのでしょう。

だからこんなに優しい子になったんだな、と感じました。

誕生日エピソードが胸キュン

平野紫耀さんはお母さんに大切に育てられたからか、愛情豊かなんですよね。

ある年の誕生日にお母さんにプレゼントをあげようと、母、祖母、平野紫耀さんで買い物に行ったそう。

お母さんの気に入った帽子があったのですが、ちょっと高額だったため、その場で購入はせず、お母さんもいいよ、となったそうなんです。

ところがその後にこっそりその帽子を買いに行った平野紫耀さん。

そしてあとからその帽子をお母さんに渡したそう。

平野紫耀さんのお母さんですが、2016年12月の舞台で衝撃の告白がありました。

平野紫耀さん自身が、「俺が高校に出るときに、母親の頭に悪性の腫瘍がみつかった」というセリフを言っていて、それが事実であったと、後に新聞に掲載されていました。

これは平野紫耀さんとっても不安だったでしょうね。高校に行く頃と言えば、関西ジャニーズに加入した頃。

それでもジャニーズに入ったのには、やっぱり家計を助けたいという思いやお母さんに楽させてあげたいという気持ちがあったのではないでしょうか。

「死ぬなよ」の意味は

平野紫耀さんはコンサートなどで、観客に「死ぬなよー」と語りかけるそうです。これは、「また生きていて会おう」ということなのです。

この言葉は、お母さんの生死への不安や思いが込められていて、人間いつ死ぬかわからない、ということを既に理解している平野紫耀さんならではなのですね。

現在もお母さんは元気でくらしているので、平野紫耀さんの思いが通じて、病気は克服されたのでしょうか。

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