【キットチャンネル】は、LGBTユーチューバー(女性から男性へ性転換した)2人
組(木本奏太かなた・原英翔えいと)として、人気のユーチューバーでした。
そんな、ユーチューバーの相方が忽然と置手紙をしていなくなり、その後残された
方(原英翔)が傷害の容疑で逮捕されたとのことです。
いったい何があったのでしょうか。
また、逮捕された原英翔えいとの壮絶生い立ちも見ていきましょう。
暴行事件の経緯
ざっくりいうと、原英翔さんが日常的に木本奏太さんに暴言暴力を振るうようになり
障害罪で逮捕されました。(2020年3月17日に判明)
2人の出会い
性転換手術を考えていた木本氏は、性転換の相談依頼が可能なアテンドサービス
を申し込んだ。
その担当者が原英翔さんでした。
当初は担当者と顧客という関係でしたが、すぐに2人は意気投合。
木本氏は15年12月に手術を受けるが、その後も友人関係が続いた。
最初の転機が訪れたのは17年。
原英翔さんと木本さんが転職で大阪から上京することになり、
「生活費を安くする」ために都内でルームシェアを始めました。
YouTubeの始まり
もともと「2人でYouTubeにチャンネルを開設したい」という計画を語り合うこともあったそうで。
木本さんが動画の編集スキルを持っていたため、同居で一気にそれが具体化した。
最初は2人とも仕事を続けながら動画を撮影、公開していた。
しかし制作に充分な時間が取れないことなどから、
思い切ってYouTube一本に賭けることにしたという。
当初は再生回数が伸びず、生活費も稼げない時期があった。
だが18年10月に1本の動画が好評を呼んだことから、
“人気ユーチューバー”として脚光を浴びるようになった。
原英翔さんの変貌
YouTubeによる収益が、エリートサラリーマンの年俸を超えるような額に達すると、次第に原英翔さんの人格が変わっていったという。
木本奏太さんが編集した動画をチェックする際、罵声を浴びせることが常態化。
悪口雑言の後は「自分は怒りたくて怒っているわけではない。
もともと動画作成のセンスを持っているのだから、指示されなくとも完成させるように頑張ってほしい」と労いの言葉をかけた。
言葉で暴力を振るった後は、一転して優しくなる。ドメスティックバイオレンス(DV)の加害者に典型的な行動パターンと言っていいだろう。と専門家はみている。
過激さが増すDV 暴力暴言異常行動
「キットチャンネル」が人気を呼び、スタッフも参加するようになると、
原英翔さんは木本さんに
「スタッフはお前の能力が低いことに呆れている」と説教。
ことある毎に
「お前は何もできない」、
「お前の代わりなんて誰でもいる」、
「お前は金を生み出せない」
などと人格攻撃を続けた。
動画による収益は、原英翔さんが管理。
木本さんには小遣い程度しか渡さなかった。
行き過ぎた監視
木本さんの携帯やSNSのパスワードを把握
携帯や連絡内容をチェック。
自宅内に作られた編集室には監視カメラが設置され、木本さんの作業を見張っていた。
1日のスケジュールも完全に管理され、
原英翔さんは自身の携帯に玄関ドアの開閉を知らせるアプリをダウンロード。
休憩時間とは異なる時間帯に、木本氏がドアが開けると、怒られた。
ノルマと心労で、木本さんはこの時1日に2~3時間しか眠れなかった。
木本氏は一種の洗脳状態となり、原英翔さんの指示に盲従した。
「自分は能力がない」、「スタッフは全員、自分を馬鹿にしている」と思い込んだ。「うつ病になったのではないか」と心配する声もあったそうです。
その後も原英翔さんは、スタッフの目の前で木本氏に暴力を振るうなどエスカレート。動画のクオリティが悪いと難詰し、木本奏太さんに「正座しろ。反省文を書け」と命じることもありました。
木本さんが消えた理由・暴行・障害のきっかけ
2020年1月、動画を見た原英翔さんが、いつものように罵声を浴びせると、限界に来ていた奏太さんは「精一杯やった」などと反論。
激昂した原英翔さんに胸ぐらを掴まれ、奏太さんは首元に全治2週間の怪我を負った。
奏太さんは「原英翔さんと話しあおうとしても、暴力を振るわれるだけだ」と判断し、手紙を残して、共同生活を送っていた一戸建てから“家出”することを決めた。
その後、警察が原英翔さんのところに訪れた。
奏太さんが家を出た時の、原英翔さんの反応
木本さんが家を出た理由が良く分からなかったときの原さんは、
1月31日、「奏太がいなくなりました。」の動画を公開。
「約10日前、外出したら奏太くんがいなくて、机の上に手紙が置いてあった」など、木本氏と音信不通になったと報告した。
この動画公開当時は、
人気ユーチューバーが、失踪。どうしたのか???どこへ??
ということで、心配する声が相次ぎました。
しかし二人の関係をなんとなく感じていたファンは、
《かなたくんの心配ってより、YouTubeの心配ばかり》、《自分は悪くないってアピールしている》、《自分の利益のことしか考えていない》
などと炎上。それもあって再生回数は200万回を突破している。
奏太さんのコメント
「僕にとって、昔も今も、家族も同然の存在であるのは間違いありません。警察の捜査を受けるというのは非常に残念な気持ちで一杯ですが、これをきっかけに反省し、彼の今後の人生が幸せなものになることを心から祈ってやみません。もう一緒に活動することはできませんが、僕自身は新しいチャンネルで動画の配信を再開したいと考えており、そのための準備も進めています」
2人が前のような関係に戻ることはなさそうですね。。
暴行逮捕された 原英翔さんの生い立ち
実は、原英翔さんの生い立ちは、なかなか過酷なものだったそうです。
原 英翔 / Eito Hara
1991年、中国・黒龍江省生まれ。
父方に中国残留日本人の祖母を持つ。母は中国人。
0歳の時に祖母、両親などとともに日本に移り住む。21歳の時にタイで性別適合手術を受け、戸籍も男性に変更する。
性同一性障害(GID)のトータルサポート会社にて、
タイや日本国内での性別適合手術を含めた、アテンドサービス業務を担う。
その後ユーチューバーとして木本奏太さんと活動。
日本に移り住んでからの生活
日本に移り住んでから
家庭内は貧困状態。
その後両親は離婚し、原さんはお父さんに引き取られる。
がその後お父さんは再婚したため叔母の家で肩身の狭い生活を。
その後父親が再び原さんと妹さんを引き取る。(中学時代)
ものの、家賃は払えず、食べるものも生理用品も変えない生活。
電気ガスも止められていた。
その後、再び父親が戻るものの、滞納した家賃をそのままに
夜逃げ。
それ以降日常的に暴言と暴力を浴びせ続けられる。
ある日、このままでは狂ってしまうと感じ、パジャマのまま警察へ
行き保護される。
という、ことを経験したのち、自分のトランスジェンダーという悩みにも
向き合い、手術後 立派に、性転換手術の相談アテンドという天職に出逢い、
『何があっても笑顔で生きていける。』とインタビューを受けていた
原英翔さん。
今回の暴力事件は、起こしてはいけなかったけれど、
原さんの力ではどうしようもないところでの、精神的苦痛と障害を考えると
いたたまれない気持ちになってします。
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